"今しか出来ないこと"の本質
学生の頃に、「今しか出来ないこと」をたくさんやるといいよ、とアドバイスをもらうことがたくさんありました。
今も「今の(若い)うちに挑戦しておいた方がいいよ」といったお言葉をもらうこともしばしば。
その度に、自身が行っていることが、「今しか出来ないこと」なのかを考えてみるのですが、たいていのことが「いつでも出来ること」であることに気がつきます。
で、思ったのですが、もしかしたら「今しか出来ないこと」というのは、ないのでは?ということ。
例えば、「学生のうちにしか出来ないこと」として思い浮かぶのが、[部活]や[勉強]、[アルバイト]などでしょうか。
ただ、学生を卒業したら急に出来なくなるかというと、そんなことはない。
部活はたいてい、スポーツ系か文化系に分かれると思います。野球部だった人が、卒業後にキャッチボールすらやる時間がないなんて話は聞きません。むしろ、社会人になってから、草野球してますっていう人が普通にいるし、吹奏楽部だった人が、どうしても演奏しちゃいけないんです、なんて話もない。
むしろ、部活やってた頃にあった面倒なルールから解放されて、伸び伸び出来ます!なんて人の方が多いんじゃないかなと思う。
勉強やアルバイトだって、学生のうちは割り当てることが出来る時間が多いだけであって、やろうと思えばいつだって出来る。
つまり、「割り当てることが出来る時間の違い」はあっても、いつでも、何歳になっても出来ることには変わりがないと思う。(身体的な衰えや世間体を気にする人はいると思いますが)
そうすると、これまでの大人たちは何を「今しか出来ないこと」として言っていたのか?
思うに、たぶん「感覚」の話。
少し話が脱線するかもしれませんが、例えば、幼稚園児と社会人の金銭感覚は大分違います。
自分が幼稚園児の頃は、親から100円をもらうだけで、とてつもなく嬉しかった記憶があります。
なぜなら、100円あれば、好きな駄菓子をいくつも買うことが出来たからです。お年玉に1000円もらったものなら、どれくらいの駄菓子が買えるんだろう?とワクワクが止まりませんでした。
ですが、社会人になった今はどうかというと、もちろん貰えれば嬉しいですが、幼稚園児の頃のような感動はありません。
それは、幼稚園児と社会人では稼ぐ力が違うからです。社会人になると、1000円というお金を稼ぐことは正直難しくありません。1日働けばその何倍ものお金を稼ぐことが出来ます。
ただ、幼稚園児はそれが出来ない。お金を手に入れるためには、"貰う"しか方法がないし、その金額も微々たるもの。
だからこそ、「1000円というお金を使って、何かを買う」という経験が、とても貴重なものになるのです。
そこには、今までは100円だったのに、その10倍のお金を自由に使えるという"感動"が生まれるからです。
ここでいう、「1000円の買い物をする」という行為は何歳になったって出来る。
ただ、「1000円の買い物をした時の感動」は幼稚園児の頃にしか味わうことが出来ない。
自分で稼げるようになると、当たり前の感覚になっちゃうから、この"感動"を味わうことが出来ないんです。
これが、大人たちが言ってる「今しか出来ないこと」なんじゃないのかなと。
アルバイトだって、年齢差1つ2つしか違わない人たちとしか関わってない高校生が、初めて10も、20も違う人とコミュニケーションを取って社会に揉まれて、身につける感覚が大切なのであって、職歴30年です!っていう人が、心機一転してアルバイトしたとしても、そこから得られるものってあんまりないのかなって。
だから、「今しか出来ないこと」なんてのはほとんどなくて、「今しか味わうことが出来ない感覚」があるということなのだと思います。
こういうところまで、しっかり伝えてあげないと、何も知らない子供たちは、本当に時間を使いたいところに、使えないんじゃないかなと思う。
ホントに勉強が今しか出来ないことなの?部活が今しか出来ないことなの?アルバイトが今しか出来ないことなの?
いろいろ考えた上で、部活は今しか出来ないことだと結論づけられれば、それはそれでいいと思います。
ただ、そうじゃなくて「今しか出来ないこと」を追い求めているのであれば、留意する必要はある気がします。
「今しか出来ないこと」=「今しか味わうことが出来ない感覚」